連載「相場のこころ トレードの本質」その14 | 中源線研究会

チャートってなに?
 
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妻が3人目の子どもを出産する時、病院まで付き添った私は陣痛計のグラフを見ながら「株価みたいだ」なんて言っていたのですが、いつしか助産師に白衣を着せられ、そのうちジワジワと奥に追いやられ、まんまと立ち会いをさせられました。気をつけないといけませんね。
 
株価をチャートにする──。
私たちは、特に考えずに「値動き」と捉えていますが、問題ないのでしょうか。
 
チャートのパターン分析によって機械的に売り買いを決める「中源線」の書籍には、次のような説明があります。
 
ケイ線とは、値の動きを、目盛りに合わせて、線で描きあらわしたものである。数字を並べるよりも、変動の様相をはっきりとつかむことができる。変動が「傾向」として認識されるのである。
(『新版 中源線建玉法』第二部 本文より)
 
その通りです。私たちは、株価の「傾向」を見ているのです。
しかし、チャートの存在意義そのものには触れていません。
 
実は、チャート分析を否定する、いや、チャートそのものを否定する人もいるのです。
 
「株価は、個々の売り買いがぶつかって成立するだけ。1秒前に売り買いした人と、この瞬間に売り買いしている人は、おそらく別である。1秒後だって同じ。それなのに、株価を“連続する事象”のように扱うのは理屈に合わない。チャート上で、昨日と今日をつなげる、先週と今週をつなげるのも、おかしなことである」
 
なるほど、一理あります。
でも、時間の経過の中で上がったり下がったりと変化する株価を相手にするには、「連続したもの」とみなす必要があるのです。
 
情報というものは、発信する者の意図や都合によって加工されています。伝えたい部分を強調する、価値観を加える、自分にマイナスなことは出さない、等々、何らかのフィルターを通して、事実をゆがめています。
 
一方、チャートについては「価格情報そのものだ」と考える向きも多いのですが、個々の取引を連続した事象として扱うこと自体が、一種の「加工」です。
 
日足、週足、月足、日中のチャートでは1分足、5分足というように、区切る「期間」によって種類があります。それぞれ、「上げ下げ」の傾向を考えるうえで、一部分を切り取って“集合形”で判断することが多いでしょう。しかし、例えば日足と週足では「形」の見え方が異なります。つまり、地図の縮尺の違いとは全く異なる差が生まれるのです。
 
チャートは、真の意味での「事実」ではありません。
売買を行う者が、“株価は連続する”とみなし、いろいろな角度から“形で見る”ために加工した情報です。株価の変動には、ある程度の「トレンド」があるという定義も実は仮定にすぎず、便宜的に利用しているものだという認識が大切です。
 
たまたま手の届くところにあるチャートを利用する前に、そのチャートをつくるときの仮定や定義が自らの売買スタイルに合っているかどうかを考える必要があります。また、誰もが指し示す未来予想ではなく、独自の見方をすることも不可欠です。
 
チャートそのものが加工されているうえに、チャートを示して「ほら、こうなった。だから上がる」という情報は、ある特定の基準による価値判断だということです。
 
 
林 知之

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