テレビでテニスの試合を見ていると、サーブが外れる(フォールトになる)ケースが非常に多いと感じます。
テレビに映る超一流の選手たちは、ほぼ100%の確率で枠の中にサーブを打つことができるのでしょう。でも外れる……バシッと打たないと、勝負に勝てないからです。
世の中には、相手がいなくても、うまくできないケースがあります。
例えば、2メートル先のかごに、ほぼ100%の成功率でボールを投げ入れられるとしても、一発勝負で「入れたらご褒美」「外したら罰金」なんて条件をつけられたら意識して、確率が落ちてしまいますよね。
床にテープを貼って幅30センチの道を作り、その中を歩く。カンタンですよね。
でも、高さ10メートルの場所に渡した幅30センチの足場板の上を歩けと言われたら……コワくてできません。
ここで、トレードの現実を考えてみます。
上記の例と同じで、「勝負がかかっている」「(おカネのことだから)非常に緊張する」状況で売り買いを決めなければならないのです。
しかも、選択肢は無限にある……未知の未来に向けて「さあ、決めなさい!」と迫られるので、ミスをするのが当たり前なのです。
ティッシュ配りをして、何%の人に受け取ってもらえますか?
街で女の子をナンパして、何%の人が首をタテに振ってくれますか?
食品売り場の「試食」なんて、販売員の感覚では「疑う余地なくおトク。なんで食べてくれないの?」というところでしょうが、多くの人は素通りします。
まあ、仕事でもなんでも、成功率は意外と低いものです。
それでも、「そんなもんだよね」と片づけて次のステージに進んでいるはずです。
相場の見込み違いなんて当たり前、ちがったら「ゴメンナサイ」とひと言、そしてサッと対処して次のトレードにそなえればいいのです。
力を入れるのは、「当てる」ことではなく「対応する」ことだからです。
単独で行動するものは、結果が悪かったときに自分を責めてしまいます。
誰だって向上心があるので、「もっとうまくやれたのに」と感じます。
そして、トレードのように独りで戦う分野では、自分を責めつづけてしまうのです。
例えばゴルフなんて、トレードと似ています。
独りで頑張る分野ですし、ボールが止まっているので、ミスはすべて自分のせいだと考えてしまいます。
ミスショットのあとでも、自分で対応を考えなければいけません。
具体的な対応をするまでボールは、“ミスショットした”状態で止まったまま……。
プロゴルファーの内面なんて、なかなか聞く機会もありませんが、例えばパッティングの結果がわるいときに「グリーンがわるいんだ」なんて極端な言葉を使うようです。
もちろん結局、自分の努力で修正するのですが、たまにコースに出るアマチュアではないのですから、「とことんやった結果がわるかった」という状況をまともに受け止めてしまったら“重すぎる”のでしょう。
頑張ってきた、これからも頑張る、という前提で、とりあえず「グリーンがわるい」と片づけるわけです。
日本人は生真面目です。
例えばレストランで毎日、皿洗いやホールの仕事をしていたら、皿を割ってしまうこともありますよね。<申し訳ありません>という気持ちで「皿を割ってしまいました……」なんて報告するのが“標準”のように認識されていますが、多くの国や地域では「皿が割れた」と報告します。
毎日のことだから、たまに割れるのなんて当たり前、という合理的な考え方なのです。
トレードで負けたとき、「次も真剣に臨む」「よりよい方法を模索しつづける」といった前向きな気持ちを前提に、しかし「予測なんて曲がって当たり前」という合理的な認識で、場合によっては「ヘンな相場だ!」と捨てゼリフを吐けばいいと思うのです。
ただし、『即座に対処する』ことが不可欠、ダメだと感じたら素早い損切りをいとわない姿勢が大切ですけどね。
儲けるためにやるのですから、“絵に描いたような理想の結果”が、ある意味、「モデル」として頭の中に刻み込まれています。しかし、実際には負けが多いことも認識しています。
苦労が多い現実の中、“絵に描いたような理想の結果”をイメージするからスパッと行動できる、それこそが相場という行為の核だと考えます。
勝っても興奮せず、負けても落胆せず、目指すべきイメージは絶対にブレない。常に淡々と行動するよう心がけたいものです。
