9月23日のブログ ↑ で、「顕在化している情報はすべて、現在の株価に織り込まれている」と述べました。
すると、割高とか割安という観点そのものは、完全に意味がないのでしょうか?
いえ、そんなことはありません。
ただ、株価の適正水準を完ぺきに示すことはできません。
実践者が各自、勝手に判断しているにすぎません。
「顕在化している情報は株価に織り込まれている」のですが、「でも、この部分は織り込まれていない」と考えるのが、各実践者の強弱判断なのです。
チャートを見るときに、「すべて株価に織り込まれている」と考えないと、テクニカル分析が成立しないのですが、「市場は、実は、それほど効率的ではない」と最初の理屈を覆し、「自分だけ儲かればいいんだ」と独自の価値判断でポジションを取ります。
こうして考えると、大切な資金を投じる根拠が、いかに薄っぺらいものか、と気づきます。
ここが最大のポイントです。
薄っぺらい根拠でポジションを取っているのです。
だから、その後の変化で当初の根拠を見直し、あっさりと捨て去るときがあります。
これが、当初の予測にムリに固執しないこと、柔軟に対応すること、なのです。
100%の確信がなかったら、ポジションをつくってはいけません。
少しでも穴があったら、ポジションをつくったとたんにコントロール不能です。
ところが、その確信を、いともカンタンに捨てる必要があります。
捨てる場面のほうが多いかもしれません。