私は、例えば年の前半とか、これからの後半、といった区切りに意味はない、と考えています。
わかりやすく分類したり安易にまとめたりして結局は見ている人を煙にまく・・・
そういう情報発信をしたくないからです。
売買を実践しているみなさんと一緒に、プレーヤー目線で相場を考えていきたいのです。
「現在どういう状況なのか」ではなく、「これから先、近未来にどうなるのか」を織り込んで株価は動いているのです。ただ、どれくらい先まで織り込むかは、その時々で異なります。計算できません。
“投資家を煙にまく”系の情報では、「現在は○○だから」と売られている理由、あるいは買われている理由をまことしやかに解説する一方、その情報と株価の動きが合わないと「この点は株価に織り込み済み」などと片づけます。
煙にまかれたくない!
それなら、近寄らなければいいのですが、社会人として日々のニュース系の情報を遮断するのも難しいので、常に注意しておくのが現実の対応でしょう。
「わかりやすく分類したり、まとめたりした情報は素人だまし」
「素直に受け入れてしまうと、負ける側に近づく」
決して“ひねくれ”ではない、大切な認識です。
ここまで、「これをするな!」「こいつはダメ」と否定を連発しました。
結論として、「こうしましょう」という肯定形の説明に移ります。
強い否定の“禁止事項”も大切なのですが、行動指針として「こうするんだ」という方向性が必要です。「自分自身の考え方」をもつということです。
「売買とはこういうものだ」と定義した、“トレード哲学”にあたる考え方もあるでしょう。
それを土台に、「自分の売買範囲は東証プライム市場の小型株だ」というような指針を固めておくことも大切です。上下の予測に気を取られて忘れがちですが、自分が「どれくらいの期間の上げ下げを狙っているのか」という“売買期間”の問題も極めて重要です。
こういった「基準」があることで、外部からの情報を自分なりに評価することができます。
ひねくれて否定するわけでもなく、なんでも聞いてしまうわけでもなく、わかるはずのない“正解探し”をするわけでもなく……。
このブログでたびたび紹介している「中源線建玉法」を素直に実践する場合でも、「この部分は疑わずに従うべきだ」とか「このルールは100%納得できない」といった自分自身の評価があって当然です。
安易につくられた情報を受け入れていると、「次はどの銘柄が上がるの?」とか「株は買いか売りか」なんて思考に陥り、ダメ情報から離れられなくなります。
誰が、なにを持ち出しても、どれだけ情報を集めても、その情報を精緻に分析しようと試みても、未来の株価を言い当てることはかないません。現実の売買では、確固たる考え方を土台にした明確な指針でポジションを取り、予測の当たり外れを判断しながらポジションを変化させていくことが求められます。
「確固たる」と表現しましたが、株価の予測だけでなく、「自分にとってこれが正しい」という基準も常に『仮説』です。きっちり守りながらも、「間違っていたら修正しよう」とか「もっとよい考え方があるかもしれない」と模索していく姿勢が不可欠です。
こんなデリケートな部分を大切にしながらも、売り買いを決断する“現場”では、迷わずにズバッと行動する──これがトレードの本質です。