「トビラを開ける前に勝負を決めろ」
プロギャンブラー
新井乃武喜(あらいのぶき)
文: 林 知之
林投資研究所『研究部会報』2013年11月号掲載
第1回からの続き……
2.正しい勉強を経て自分のものをつくり出す
──もともとギャンブルが好きではなかったのですから、完全にゼロからの出発だったわけですよね?
そうです。でも学生時代にラスベガスに行って、カジノで遊んだ経験はありました。
──ギャンブルに興味はなかったのに?
卒業旅行だったのですが、仲間と相談しながら僕は「ただ行って帰ってくるだけで、何のゴール(目標)設定もない旅はつまらない」って主張したんです。で、最もわかりやすいということで、ラスベガスのカジノに行くと決まったわけです。ギャンブルそのものでなく、ギャンブルという明確な目標物のあるカジノという場所が重要だったんですね。真剣にルールを勉強し、真剣に臨みましたよ。
──軍資金はどれくらい用意したのですか?
旅費とは別に、カジノ用に80万円用意しました。バイトを頑張って貯金していたとはいえ、それなりの金額でしたが、ゼロになってもいいと考えました。勝ち負けよりも、「ラスベガスを感じるために行くんだ」って気持ちでしたから。
──成績はどうだったのですか?
1日の睡眠が平均3時間という状態で、ずっとカジノにいました。そして、トータルで20万円勝ちました。
でも勝ったことなんてどうでもよく、ベガスという街に魅力を感じたんです。そうそう、僕がずっと勝負し続けていたら、そのカジノのエライ人っぽいオッチャンが名刺をくれたんです。そのころは英語なんてさっぱりでしたら、何を言っているのか全くわからなかったんですが、その名刺1枚で未知の体験をしたのです。
いったんそのカジノをチェックアウトする際に「ディスカウントしてくれるかも」と期待して名刺を見せたら、それまでは日本人の学生に対して“上から目線”だった従業員の態度がガラッと変わり、「失礼いたしました。少々お待ちいただけますか」みたいな感じで、急いで電話をかけるんです。そうしたら名刺のオッチャンが出てきて、またベラベラッとしゃべるんですが、再び何を言っているのかわからない。仲間で英語が少しできるヤツの説明だと、「よく来てくださいました。今回のホテル代はいりません。また、いつでもおいでください。同じように待遇します」ってことでした。
実はオッチャン、そのカジノのトップの人だったんです。
──金持ちが派手に遊んでいたわけでもないのに、どうしてホテル代を無料にしてくれたり名刺を渡して「いつでもどうぞ」なんて言うのでしょうか?
たぶん、若い僕が夢中になってテーブルに張りついている姿を見たからでしょう。カジノには大勢の人が集まりますが、その人たちの負け分がカジノの利益です。でも、そうやってカジノが勝つためには、客が長く滞在して何百回、何千回と賭けてくれなくちゃいけない。それには、まず自分のカジノに来てもらう必要がある、というわけです。
そのカジノが気に入る、長く滞在してたくさん賭ける、賭ける回数が多ければ確実に負ける──。こうやってカモをつくるという、わかりやすいビジネスなんですね。
実はその滞在期間の後半、泊まるところがなくて困ったんです。ベガスという街に人を呼ぶ目的で幕張メッセみたいな施設があって大企業が大人数の会議を開いたりするのですが、ちょうど会議がまとめて開催される時期に当たってしまったんです。だから最後の頼みの綱で、名刺をくれたカジノのトップの人に電話したら、「どうぞお越しください」って。あらためて訪れようとしたそのカジノに部屋がないって断られた数分後なのにOKをくれるし、それじゃあというので行ってみたら部屋も選べるしで、驚いてしまいました。
──その経験が、ギャンブラーへの道につながったのでしょうか?
そうですね。その時の気分の良さは脳裏にしっかりと焼きついていました。
やりたいことが見つからない中でなんとなく卒業旅行の体験を思い出し、「これなら本気になれるかもしれない」という気づきが感情的に背中を押してくれたのかもしれません。あとでわかりましたが、トップの人が名刺をくれるなんて、なかなかないことなんです。偶然、ほかの人たちがすごくなかったということもあったでしょうね。まあ、あくまでも僕がカモという目線ですが。
実際、例えばポーカーならば、90%の人が負けます。残りの10%の人が勝ち組ですが、わずかに1円勝っただけの人も含めた数字です。結局、プロとして勝っている人は全体の1%だけなんです。ちなみにブラックジャックは、勝つ人の割合はもっと少なくなります。
真のプロギャンプラーとは、スペシャリストのさらに上の存在ではないかと私は考えています。
──その1%に入ろうというチャレンジだったわけですね。まず何をしましたか?
当然、勉強です。僕は「ギャンブルは数学だ」と最初から考えていたので、ベガスに行ってギャンブルの教科書を買って読みました。まずは基本の公式を理解しないと、絶対に勝てないと思ったからです。
それに、モチベーション(動機づけ)を維持するためにも実践力をつけるためにも、机の上の勉強に偏ったらダメですよね。だから、ドアを開ければカジノがあるという環境が必要だと思ったんです。
それから、単独でベガスにいれば集中できます。日本で勉強してたって、女の子から電話が来たらすぐに遊びに行っちゃいますよ。林さんだって、すぐに行っちゃいますよね?
──いや、同意を求められても困りますね(笑)。
あはは。とにかくベガスに行き、そのころ読んだ本の1冊に「3カ月で勝てるようになる」って書いてあったので、観光ビザで滞在できる3カ月間、頑張って勉強しながら実践してみました。そして3カ月後にわかったのは、「3カ月ではムリだ」ということでした(笑)。
あと本を読みながらわかったのは、1冊の本、1人の視点だけでは弱い、ということです。その著者が間違っていたらすべて終わりというリスクもありますが、ものすごく重要なことまでは書いても本当のトップスキルみたいな部分は本に書かない、書けないものだと思うのです。だから例えばAという専門書とBという専門書があったら、その2冊を読んで「A+B」という自分のノウハウをつくり出す必要があるということです。もしA、B、Cと3冊あれば、2冊の組合せは「A+B」「B+C」「A+C」の3通りあります。こういったプロセスで、自分で使う自分だけのものを見つける必要があるはずです。
例えばブラックジャックに限ったとしても、多くの視点からアプローチしてはじめて、そのブラックジャックというカードゲームでの勝ち方が見えてくると考えています。
ちなみに、単なる自己流では絶対に勝てません。自己流っぽくやってきた人でもきちんと勝っているのなら、周囲の人から教わったことを蓄積するなど多くの視点を確認したうえで自分のものをつくり出す作業を積み上げてきたはずです。
──最初の3カ月が終わったあとは?
いったん帰国して、すぐにベガスに戻りました。そして日本とアメリカを行ったり来たりしながら、ベガスにいる間は「モチベーション×集中」ということで1日14時間、365日やっていたのですが、なかなか勝ち方がわからない状態が続きました。
そして1年半が過ぎ、「1年半では勝てない」ってことがわかりました。
──またですか?(笑) 最終的に勝てるようになったのは?
実践を始めて2年後でしたね。いや実は、1年半が過ぎたところで限界に達して、「頭がおかしくなる3歩手前だ」って感じたんですよ。さすがに1歩手前まで近づいてはいないけど、5歩手前といえるほどの余裕はありませんでした。
そこで日本に帰り、彼女ができたら一緒に見ようと考えていた映画を片っ端から借りてきて、ずっと独りで見ていました。そんな引きこもり生活を何カ月も送ったところで、ふと思いついたんです。「1年半も勉強してそれなりのスキルを身につけたはずなのに、なぜなんだ?」と考え、常識だと信じていたことの逆をやってみよう、ベガスのギャンブラーたちが「勝てない」と言っているカジノで試してみようって。自己防衛のためにとりあえず逃避していましたが、あきらめる気なんて毛頭なくモチベーションだけは維持していましたから。
僕はニューオーリンズ近郊のビクロシーという町にある、ベガスのギャンブラーたちが敬遠するカジノに挑みました。ブラックジャックです。最初は勝てなかったのですが、改良点を見つけて修正したところで勝てるようになり、「おまえは勝っちゃうから出入り禁止だ」って追い出されるレベルにまで到達しました。やっとプロデビューできたわけです。
「あのカジノでは勝てない」と言っていた連中だってプロなんですが、それぞれの狭い常識でしか考えていなかったわけです。それを真に受けずに自分で考えたから、勝ち方がわかったのでしょう。視野の狭い自己流はダメですが、林さんが言っている「自分流」が出来上がったんじゃないでしょうか。
<第3回につづく>
このインタビューは2013年12月11日に林知之が行い、林投資研究所が発行する『研究部会報』2013年11月号に掲載したものです。
プロギャンブラーのぶき(新井乃武喜)
15年間カジノに勝ち続けたお金で、世界82カ国を旅し続ける。震災後、被災地のボランティアのために一時帰国したところ、「ギャンブルの勝ち方が金融トレードに通じる」と評判になり、投資関係者からのトーク依頼や執筆の依頼が激増、現在も日本にステイ中。
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