禅とは、なにか?
そして、最終的に、禅はなにを目指しているのか?
この問いに、安易に答えることはできません。
それは、禅も仏教も、宗教の一つであり、その宗教とは何であるか?という問いに対する答が一様では無いということです。
この場では、禅で大切にしているものは何かといことを書くに留めたいと思います。
禅という漢字のツクリである単は「シンプル」である事を意味しますが、禅という生き方は、とにかく余計なモノを極限まで排除していこうというものです。
具体的にいえば、できるかぎりシンプルに考え、シンプルに行動し、シンプルな生き方を目指します。
なぜ、そのように考えるかといえば、
仏教そのものが
「事実に忠実にそって生きよ」
と言っているところに起因します。
現代において「お寺でのメイン行事は、お葬式」という目線で見てしまうと、仏教は死後の世界、つまり現世とはかけ離れたバーチャルな世界を問題にしているような印象を受ける方が多いのかもしれません。
しかし、実際のところ、仏教を開いたお釈迦様の説かれたものの中心はそこにはありません。
仏教の「仏」は、サンスクリット語のブッダを漢字に置き換えた仏陀に由来します。
そのブッダとは、「悟った=気づいた、人」ということを意味します。
何に気が付いたかというと、
「世の中の事実」であり「本当の世界のありよう」
であります。 その上で、理想的な生き方とはズバリ
「事実に即して生きよ」ということになるのです。
ここが、極めて重要なポイントですので、しっかりと説明したいと思いますが、
○ 事実に即せよという教えであるが故に
万人がそのまま、その本質を
理解できます。
万人の目の前に現れている
そのモノ・コトが事実だからです。
裏を返して言うと、
現に今、私達が持っていない
特殊なモノを獲得する必要は
ありません。
○ また、事実に即しているが故に
二千五百年以上の間
全く政治も文化も経済状況も
異なる国々で現在まで、
絶える事なく伝わってきたのです。
○ そして、事実に即している為、
即座に実践に応用する事ができ、
必ず成果をあげる事ができるのです。
さて、ここで
「事実に忠実に即する」
とはどういうことであるか?を考えてみましょう。
仏教の難しさは、本当の事実が私たちが日常的に思っている事実とはだいぶ違うということです。
そんなことから、世の中で「事実そのものを直接知ること」は難しいと思われる方は多いのかもしれません。
そこで、明らかに事実では無いこととはなんであるか?を考えるというアプローチで、事実とはなにか?に迫っていきたいと思います。
前置きが長くなりましたが、トレーダーにとって明らかに事実とは関係が無いモノの代表を一つあげてみたいと思います。
それは、自分のお財布の都合です。
いま、ある株式なり、為替のロングポジションなりを持っていたとします。
そのようなトレーダーのお財布の都合とは、それらの価格が上がっていく事が好ましく、下がる事は好ましくはありません。
しかし、マーケットがこれから上がるのか下がるのかという事実と、このお財布事情は、全く関係がありません。
正確に言えば、トレーディング目的で、私がそれをロングしているその保有分は必ずマーケットに売りとして出てくる事に関しては私が知りうるこれ以上ない確かなことなので、売り要因とカウントすることはできるでしょう。
しかし、この事実は、私のお財布の都合には、好ましく無い事実です。
好ましくない事実が具体化すると、ロスカットを迫られるという現実が現れます。
ここで、マーケットが下がる、上がるという判断と、私のポジションを全く別個に判断する事ができるというのが、事実に即して生きるということであります。
しかし、この様な構造がそもそもマーケット、否そうではありません、自分の心の中にこの様な構造があることを意識していないのが普通ですから、これがすんなりできる人はかなりの少数派では無いでしょうか?
仏教一般では、このような自分のお財布の都合によって行動することを、我欲に執著するといいます。
仏教の実践において、この我欲を制する事が一つの大きなテーマとなります。
そして、この様に我欲を制するという実践は一筋縄では実現できないという事は多くの方がご存知のことと思います。
しかし、仏教はこの問題に2500年以上取り組んできたのです。
そこには、蓄積されたノウハウが有ります。
まず、今回はこのような背景があると認識した上で、次回以降、禅の教えをより具体的にお話していきたいと思います。
